先人達が
歩んできた道を辿る。
神野建設を語る上で、欠かすことのできない歴史がある。
新田開拓に挑んだ先達の足跡が、現在の、そして未来の東三河を創る。
明治21年4月 | 毛利新田開拓起工式 |
---|---|
明治21年6月 | 牟呂用水工事完了 |
明治22年10月 | 神野新田土砂運搬工事 |
明治26年4月 | 神野金之助は毛利新田の跡を継ぎ、 新田再築のため、その譲渡を受ける。 技師服部長七を招き直営班を設ける。 築堤工事成功後、 造成・区画・水路等の工事を始め、 神野建設株式会社の前身が生まれた。 |
明治26年11月 | 神野新田内部地均し、水路道路の築造、 区画整理着手 |
明治27年3月 | 牟呂用水路修築工事が完了し、 引水出来るようになる |
明治28年6月 | 新田の名称を「神野新田」とする |
明治29年4月 | 神野新田(1,100万ヘクタール)完成式挙行。 榎本武揚農商務大臣臨席。 |
明治33年 | 神野新田地均し工事を行う |
明治36年4月15日 | 円龍寺本堂落成し、上棟式を行う |
明治38年3月9日 | 神野富田殖産会社設立 神野新田の経営は同社によって行われる |
明治41年 | 神野新田は豊橋市に設置された 第十五師団の厩肥の払い下げを受ける |
明治42年10月10日 | 豊橋ガス創立 |
明治42年10月 | 神野新田二回の耕地整理に着手 |
明治43年5月23日 | 浜松ガス創立 |
大正2年 | 神野新田耕地整理 第二期工事着手 |
---|---|
大正4年5月 | 神富神明社上棟式、 並びに遷宮式 |
大正7年5月 | 五号樋門改良工事 |
大正8年4月 | 神野富田殖産会社は 神富殖産会社に 合併され、神野新田の 経営は同社に移行 |
昭和4年 | 神野新田三郷公会堂建設 |
---|---|
昭和7年7月16日 | 神富殖産会社は明治銀行破綻のため、 神野新田を提供することになり 翌年6月30日に神野新田土地株式会社を設立 |
昭和8年6月30日 | 神野新田土地株式会社設立 神野新田の維持管理を神富殖産会社より引き継ぐ |
昭和12年9月 | 豊橋市築港地域を神野新田に決定 神野新田土地会社より土地入手 |
昭和19年12月7日 | 昭和東南海地震で神野新田堤防に大被害を受け、 三号堤二カ所、四号堤二カ所、五号堤二カ所の 被害甚だしく、空襲下身命を賭して応急修理を行う |
昭和21年4月3日 | 神野新田土地株式会社は 農地解放の仮協定書に調印 |
昭和22年5月 | 昭和東南海地震、三河地方大地震による 神野新田堤防復旧工事、ようやく完了 |
昭和23年4月 | 神野新田土地農業協同組合設立 神野新田土地農業協同組合の中に維持部をおく |
昭和26年9月13日 | 神野新田土建株式会社の創立総会を開催 新田区画割の代表として20名が株式引受人となり、 会社設立後、各々の耕作者に分割し、 株主は600名余りとなった 初代代表取締役 石部太之助 本社所在地 豊橋市牟呂町字松島14番地 |
昭和26年9月15日 | 神野新田土建株式会社設立 資本金100万円 神野新田土地農業協同組合維持部の 事業を引き継ぐ |
昭和26年9月26日 | 建設業者登録 土木工事、建築工事 |
昭和27年 | 豆板製造はじまる |
昭和28年1月 | 本社所在地変更 神野新田町会所前66 |
昭和28年9月25日 | 台風十三号により神野新田堤防切れ、浸水 |
昭和29年4月 | 牟呂用水土地改良区、 神野新田土地改良区発足 |
昭和34年9月26日 | 伊勢湾台風来襲、伊勢湾台風災害復旧工事 復旧工事のため労働力が不足したので、 機械力の増強をはかり、ブルドーザー1台、 ドーザーシャベル1台を追加さらに翌年、 石川島コーリング205、21切練コンクリートミキサー 等を購入 |
---|---|
昭和34年12月31日 | 資本金を300万円に増資 |
昭和35年12月31日 | 資本金を500万円に増資 |
昭和36年4月 | 季節労働者を新潟方面より雇い入れる |
昭和36年12月31日 | 資本金を1,000万円に増資 |
昭和38年5月31日 | 資本金を1,400万円に増資 |
昭和39年4月 | 三河港は重要港湾の指定を受け、 神野公共埠頭の建設着工 |
昭和39年4月15日 | 神野新田堤防復旧工事完成 豊橋市及び神野新田土地改良区が主体となって 海岸復興記念碑除幕式を行い、 当社においては豊橋市長より感謝状を受ける |
昭和39年5月 | 他地区工事及び建築工事にも力を注ぎ、 建築技術者2名増員 港湾土木、 大型水路の受注を主体に、 人員の確保や機械の稼働率を高める |
昭和40年5月17日 | 一般建築士事務所登録 |
昭和42年6月30日 | 資本金を2,100万円に増資 |
昭和43年5月 | 神野新田サノ割に 資材置場用地として土地950坪取得 |
昭和43年5月 | 豊川用水西部幹線完成 |
昭和43年6月 | 50t起重機船兼杭打船“神豊丸”を建造 |
昭和43年11月 | 神野地区臨港道路用地買収調印 |
昭和45年5月31日 | 資材置場2,100坪の土地(現本社所在地)を購入し、新しい資材置場とする 資本金3,000万円に増資 |
昭和46年4月2日 | 宅地建物取引業 愛知県知事登録 |
昭和46年4月 | 神野埠頭へ第1船入港 三河港計画に伴う漁業補償解決 |
昭和47年5月 | 豊橋港開港 |
昭和47年5月31日 | 資本金を4,500万円に増資 |
昭和49年6月 | 本社を豊橋市神野新田町字コノ割9番地の1に移転し、社名を神野建設株式会社とする |
昭和52年1月 | 神野埠頭に倉庫用地として 土地600坪を愛知県企業庁より取得 |
昭和55年5月31日 | 資本金を7,000万円に増資 |
昭和56年 | 陸搬式ポンプ船“神栄丸”建造 三河港(神野埠頭)に事務所・営業用倉庫を建設 |
昭和56年9月 | 会社創立30周年 |
昭和62年9月 | 岡崎営業所開設 |
昭和63年9月30日 | 資本金を1億3,000万円に増資 |
平成1年 | 神野建設株式会社 安全協力会社設立 |
---|---|
平成3年5月 | 新城営業所開設 |
平成5年3月 | 神野新田町サノ割に宿舎兼寮新築 |
平成5年5月 | 創業100周年で初の海外慰安旅行 (ハワイ、シンガポール) |
平成8年4月1日 | 技術開発部を新設 |
平成10年4月 | 新城営業所を移転「新城・設楽営業所」と改名 |
平成10年10月 | 岡崎、新城設楽の両営業所を建設業登録 |
平成11年4月 | 名古屋営業所開設 |
平成12年 | 名古屋営業所を建設業登録 |
平成13年9月15日 | 会社創立50周年 |
平成14年8月 | 浜松営業所を設置 |
平成15年6月 | ISO9001認証取得 |
平成18年1月 | 鋼構造物工事業 国土交通大臣許可 |
平成24年5月 | ISO14001認証取得 |
平成25年12月 | 豊川営業所を設置 |
平成27年12月 | 新造船「第十八しんあい丸」進水 |
平成28年6月 | 本社倉庫屋上の太陽光パネルが稼働開始 |
平成30年2月 | 解体工事業 許可 |
平成30年3月 | 明海営業所を設置 |
平成30年4月 | 創業125周年 |
平成元年8月 | とよはし健康宣言事業所認定 |
令和元年10月 | 健康宣言チャレンジ事業所認定 |
令和2年3月 | 健康経営優良法人認定 |
令和2年4月 | 新城設楽営業所移転 |